飛行機は一子相伝
北斗神拳ではないが、操縦技術をそのまま人に伝えるのは難しいということをいいたい。
私は 自家用の訓練中二人の教官に教わった。メインは若い(当時21歳の若造!)アメリカ人で、日本人の教官が時々確認のために飛んでくれた。ところが、アメリ カ人教官に教わったとおりにやっているつもりなのに、日本人教官には「それではだめです」としかられてしまう。今から考えればとても些細なことだったと思 う。確か上昇の速度が違うと指摘されたのだ。アメリカ人教官は80MPHで上 昇しろと言っていたのに、日本人教官は76mphでと主張する。私は混乱してしまった。どっちが正しいんだ?今ならわかる。どっちでもいいのだ。 76mphはマニュアルに載っている最良上昇速度で、最短時間で高度を稼ぐことができる。アメリカ人は「大体80ならいいや」と(英語で)考えていたんだ ろうが、日本人の教官はマニュアルの数字を正しく守れるように、教えてくれたのだ。もちろんそのほうがいい性能が出るのだが、その時点で大差は無い。
こんな風に教官によって教え方がかなり違うことがある。いや、10人教官がいれば10通り教え方があるといってよい。なぜそんなに違うのか? これが一子相伝といわれる所以である。
教習に使う飛行機にいったい何人乗れるか?セスナ152なら教官と生徒一人ずつだけ。他には誰もいない。セスナ172でも4人乗りである。しかも二人は後席に乗っているので、視線が微妙に違う。そのためしっかり教えられるのは教官の横に座っている一人だけなのだ。
操縦の手順に ついては、教室で100人を相手に講習することができるが、実際に飛んでみないと正しいイメージは伝えられない。人の顔の特徴を言葉で説明するか写真を見 せるかのほどの違いがある。そのため、飛行機の飛び方にはさまざまな流派が生まれてしまう(名乗りはしないが)。そのことが生徒を混乱に導くのだ。
逆にいうと、それだけいろいろな飛び方をしても飛行機はちゃんと(?)飛ぶのだ。割と 融通の利く乗り物ではある。ただ各々自分のやり方が一番と思っているだけで。だから違う教官に、違う飛ばし方を教わったときは「儲けた!」と思うようにし よう。それからその飛び方が本当にいいか、自分にあっているか考えて、納得すれば、そうすればいいし、そうでなければそうしなくていい。
注意すべきは理由だ。自分のやり方が正しいと思う理由がちゃんとある教官はいいが、中には、理由も無く、自分が教わったことを盲目的にコピーしているだけの場合もある。その点の確認はしっかりと。